大腸がんの男性が、ホメオパシーを希望して来院されました。
面談が始まるとまもなく、忙しい両親に構ってもらえず、淋しかった幼少期の話に入ります。
そして、会社を継ぐべきと両親から押し付けられ、荒れていた思春期の思い出に続きました。
その横顔には、始終、淋しそうな男の子の哀しみが見て取れます。
子供のころの淋しさ、哀しさを癒すことが重要と感じ、レメディを選びました。
病院に対する不信感
ヒロさんは50代の男性です。
大腸がんと診断され、術前検査や手術予定日が決まっていく中、西洋医学だけでなく、代替医療も試したいと、さまざまな医療機関を訪ねていると言われます。
今回は、かねてから興味を持っていたホメオパシーを試したいと相談にみえました。
「手術の予定にはなっているのですが、実は、西洋医学に対しては不信感を持っています。
そのためなのか、検査や手術が決まっていくにつれ、不安が募っています」
それは、十数年前のことでした。
父親ががんとわかり、抗がん剤治療をはじめたところ、数日のうちにみるみる様態が悪化し、そのまま亡くなってしまったのです。
その後の病院側の対応にも不信感がつのるばかりでした。
「父親の入院中の出来事から、病院や西洋医学は信用ならないと思ってきました。
今回、自分自身が手術をうけることになって、父親のことを思い出さずにはいられないですよね。
術後、状態が悪化するのではないかと思うと、正直、手術はうけたくないなとも思います」
両親や、周りの大人に気を遣う子供時代
ヒロさんは、父が創設した会社の二代目社長です。
彼が30歳の時、社長だった父が亡くなり、彼があとを継ぎました。
引き継いだとき、会社は借金だらけだったのですが、その後、大きく成長させ、今では海外支社も設立し、海外進出を果たしています。
両親はそれぞれ、地元では知らない人のいない大きな家の育ちでした。
ところが、戦後、土地は没収され、家は没落します。
そのことがあってか、両親ともに、『家を復興させよう!』、『会社を大きくしよう!』をスローガンのように、いつも口にしていました。
子供であるヒロさんも、よく言い聞かされていたそうです。
「会社は自宅の一階から始まりました。
1階が会社で、2階が自宅です。
ものごころついたころには、まわりはおとなばかりで、ぼくはいつも、大勢のおとな達に気を遣っていました。
おとな達だけでなく、両親の顔色をうかがっていましたね。
その当時はまだ男尊女卑の強かった時代です。
会社でも家でも、常に父の顔色をうかがう母の姿をよく覚えています」
今でも、周りの方に気を遣ったりしていないでしょうか。
「うーん、…、気を遣っていますね。
いまは妻の顔色をうかがっています。
病気をしてしまい、妻に迷惑をかけていますから。
もうしわけないと思っていて、よくプレゼントを買って渡しています」
幼少期はどのような子供でしたか?
幼いころの思い出というと、
「両親ともいそがしくて、構ってもらえずさみしかったということです。
親に誉めてもらいたいと思っていました。
母親に構ってほしくて、わざと階段から落ちるなどして、しょっちゅう大きなけがをしていました。
けがすると痛いけど、母に構ってもらえるので、わざと大きなけがをするようなことをしてしまうんですね」
と言って、ヒロさんは笑っていますが、その笑顔には、こどものころ感じた淋しさや哀しさが見え隠れしています。
構ってもらえなくてさみしい、
誉めてほしかった、
これは幼少期のヒロさんの重要な感情面ですね。
今でも、そのころの気持ちを、ありありと感じておられる様子で、表情が淋しそうです。
「そうですね。
せめて、兄弟がいたら違ったかなと思いますね。
兄がいたらよかったなぁって思います」
少し涙ぐんでおられます。
ヒロさんの背景にある、様々な経験とその時感じた気持ちを聞いていると、ここまで会社を大きく成長させてこられたのは、すごいことなんだなと感じます。
「会社を継いだときは、がむしゃらでした。
負けるものかって思って必死でやった来たら、ここまできました」
いつも自由でありたい
子供のころのことで、印象的なできごとがあれば、教えてください。
「中学高校は荒れてましたね。
中学くらいから、親の洗脳に気が付いて、反抗していました。
煙草もお酒も、このころ始めました。
親が押し付けてくる、こうあるべきというものが強くて、そういうものから自由になりたかったです。
学校には行くべき、会社は継ぐべき、とかですね。
両親から会社を継ぐように言われていて、『会社なんか継ぐものか』と思っていました。
バンドをやっていて、音楽で食べていこうと本気で思っていました」
自由というのは、重要なキーワードになっているようです。
「そういえば、会社の社訓にも、『自由人であれ』と入れています」
「自分のちいさいころは、両親の価値観を押し付けられていました。
でも今は、自分の人生、好きに楽しくがモットーです」
両親のことはどんなふうに感じていますか?
「父のことも、母のことも、嫌いではないです。
父が亡くなるときは、息さえしていてくれればいいと思ったくらい、とにかく生きていてほしかったです」
ヒロさんは、本当は自由でありたい気持ちでいっぱいでしたが、
一方で、両親からは、家や会社を大きくすることに協力するべきと押し付けられていて、
これはかなりつらかったと思います。
思春期に荒れたと言われていましたが、自分の意思を表現されていたのではないでしょうか。
子供のころの淋しさ、哀しさを癒す
お話をうかがうなかで、特に、こどものころの淋しさ、哀しさを強く感じました。
小さいころのことを思い出して、涙ぐむ場面もありました。
母親の愛情を求めていたけれども、受けとることができない淋しさ、哀しさです。
この感情を癒すことはとても重要に感じます。
それで、ヒロさんには、ホメオパシーのNat.murを考えました。
最初にお会いした時、とても社長に思えないようなやさしさがあって、
あっ、ヒロさんはNat.murかなって思ったんですね。
男性なのですが、やわらかく、明るく、親しみやすい方だなと感じます。
でもそこになにか哀しい感じもあって、なんだかそれがとても気になりました。
ヒロさんは常に感情面に向き合っておられるところも、重要な点かと思います。
どのように思いましたか?どう感じていますか?と感情面を尋ねると、すぐに答えが返ってきて、感心しました。
一般に男性の方は、感情を尋ねても、自分の気持ちを即答できる人は多くはないように思います。
感情を聞いたのに、起こった出来事を答えてくる人もいて、それは感情ではないですよって指摘しなくていけないことが多々あります。
ヒロさんは、左脳を使って物事を理論的に考えるだけでなく、右脳も使って自分の気持ちを感じ、受け止めておられます。
そういった面も、ヒロさんの特徴だと思います。
そのほか、会社を大きくすることより、社員教育に力をいれていると話されたところにも注目しました。
「会社はかなり大きくなったので、いまは人を育てることに重点を置いています。
社員には、会社で毎日学んで、それぞれ育っていってほしいと思っています」
また、芸術にも関心をお持ちですね。
「バンドをやっていたので、音楽は好きですね。
芸術、アートもすきです。
会社の製品もただ使いやすいだけではなく、美しいものを作りたいとおもっています。
でも今は、音楽も芸術もなにもしていないですね。
美術館にも行っていないなぁ」
今からでも、音楽、芸術など、やりたいことがあれば始めてみてはいかがでしょう。
ヒロさんの話から、Nat.murを選びましたが、
もしも、がんに対する不安が強かったり、
自分の体調に非常に敏感になっていたり、
死に対する恐怖などを感じておられるのであれば、違うレメディを選択します。
ヒロさんは、病院に対する不信感のため治療に不安があると話された以外は、病気に対する不安を口にされませんでした。
「がんのことは不安には思っていないんです。
なんだか死ぬ気がしないですしね。
まだ、やらないといけないこともありますし。
親の治療のことを思うと、不安ではあるんですが、どうにかなるんじゃないかという気がしています」
「今日は、子供のころから、両親のことまで、いろいろ思い出して、たくさん話せたので、なんだかとてもすっきりしました。
ホメオパシーの説明を聞いて、なんだか効果ありそうな気がしますね。
ぜひ、続けてみます」
※ご本人の了解をいただき、掲載させていただいています。
趣旨をゆがめない程度に、年齢や性別などの背景を変えたり、
他の患者さんを組み合わせるなどして、実際の症例に変更を加えています。
また、理解しやすいよう、内容を単純にし、処方内容も一部に限定していることをご了承ください。
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